
ぶどう作りをやめるわけではありません。だって奇跡の出会いがありますもの。
“奇跡の出会い”白状するとこれはパクリなんですけどね、でも、そう思わずにはいられません。だって・・・。
ぶどうって世界中の温帯地域で栽培されます。ひとことにぶどうと言っても、ワイン用とか、生食用とか、用途の違い、品種とか様々ではありますが、とにかく世界中にはたくさんの産地があります。それにしても世界中でぶどうの畑はどれくらいの広さでしょうか。何万、何千万ヘクタール?東京ドーム何千面分?
栽培している人はいったい何人? いや何万人?、何十万人?いえいえ何千万人?
そんなだだっ広い地球上のたくさんのぶどう産地の中から、狭い日本の、山梨の、そして勝沼の山懐の西向斜面に一面に広がるぶどう畑のその内の一部の狭い畑に生まれ育った数万房の中のたった一房のぶどうにめぐり合うということ。
ある日、町内のとあるワイナリーの社長と立ち話をしたときにこんなことを言われました。「おい、おまんなぁ、一人の人が「あぁ、ワイン飲みてぇ。」っちゅうときに、世界中に星の数ほどあるワイナリーの中から、こんなちっこいワイナリーの1本が選ばれるってことがどういうことかわかるか?
そりゃぁ、すげーこんだぞ。奇跡的な出会いじゃんか。そう思わんか。俺は聞きてぇよ。「世界中にもっと美味いワインがたくさんあるのに、あなたは、なぜこれを選んだのですか?」って。」 そう言われて一瞬背中がゾクゾクっとしました。何を買うにしても、そんなことをいちいち考えて選んだことなどなかったから。「あ!これだ!」目の前にあるものが自分の感性にビビッと嵌っちゃって、そう感じて予定にないものを買うことはよくあります。でも、何でこれなんだろうって考えたことなど多分記憶にはありません。「何でもいいや。」とか「しょうがない、これにしとこう。」そんな風に投げ遣りにまたは妥協的にものを選ぶことも多いです。
なぜ、お客さんはうちのぶどうを買ってくださるのだろうか。そもそも食べなくても生きていけるぶどうを。安くもないぶどうを。送料を負担してまで・・・。
毎年当たり前のように繰り返されることですが・・・
冬場に畑に肥やしをくれておけば、春になると芽が出て、葉をひろげ、着飾ることを知らない、花びらのない一見グロテスクな花を咲かせ、そして、実を結ぶ。
しかし一つの芽吹きのそれ以前に脈々と続く無数の命の営みがありました。
その営みは冬場の剪定により残された、限られたもの(芽)のみが次の春の芽吹きを許されます。ところが、枝についた全ての芽が萌芽するわけではありません。厳しい冬の寒さと乾燥に耐えたものだけに命の水は通い、そして芽吹くのです。その新芽は、春の強い風に耐えそして人の手によって選抜され、選ばれたものだけが伸びて新梢となり葉を繁らせることを許されます。
房だって伸びた全ての新梢に着くわけではありません。幸いに新梢に着いたいくつかの房は、ここで形良く健全に生長した元気の良いものだけが選抜されます。
風雨、病害虫に耐え一房のぶどうは次第に数十から数百の粒をつけます。そしてその粒もまた人の手によって選抜されます。再び風雨、病害虫に耐え抜いた粒だけが一房に残ることを許されます。その数、巨峰にしてわずか40粒以下。果たしてこの内の何粒があなたの唇に触れることを許されるでしょうか。
たった一粒のぶどうとあなたとの出会い、そしてあなたと私たちとの出会い。これを奇跡と呼ばずしてなんと呼ぶでしょうか。そんな奇跡をただひたすら大切にしていきます。笑顔のために。未来永劫脈々と繋がる次の新しい命のために。
ぶどうは食べものなんだよなぁ。
何をいまさら・・・って感じですが、これがどうして、意外と農家の皆様はそういうことに対する意識が低いんじゃないかって言いたくなるような現実があります。でも早合点しないで下さいね。決して悪意があってやっていることではありませんから。皆さん、ぶどうを作ることだけに一生懸命になっているだけなんです。
1年かけて大自然を相手に駆け引きしながら苦労してぶどうを育てます。でも苦労したことを口にする割には、その成果はぶどうの“処分”をお任せした農協の集荷場に掲示される市況(青果市場でのセリ値)で一喜一憂するだけ。そのぶどうが食べたお客様からどんな評価を受けたかなんていうことはどうでもいいことなのです。日本一のぶどうが本当にこれでいいのかなぁ。一体、日本一って何が日本一なんだろう、って思うのであります。
こんな疑問にストレートに答えをくれたのは、誰あろう、我が家のぶどうを召し上がっていただき笑顔になったことをお伝えいただいたお客様に他なりません。「美味しかったよ。」「こんな美味しいぶどう食べたことない。」嬉しい限りです。
「あぁ、うちのぶどうって美味しいんだ。これが当たり前だと思っていたのに、皆さん、普段どんなぶどうを食べているんだろう。」でも、よくよく考えると、そのぶどうも我が家のぶどうかも知れないのです。農協へ出荷したぶどうかも。
日々の畑の管理作業に追われ、収穫時期も、「早く収穫しなきゃ。」「早く完了させてホッとしたい。」そんな気持ちでやっつけ仕事で収穫&荷造りして農協に出荷していた私たちは、何かにぶん殴られたほどの衝撃を受けました。それが10年前。
ぶどうって単純に美味いだけじゃなんでダメなの?
「特秀」「秀」「優」「無印」「LL」「L」「M」「S」農協へ出荷するには、形や色、粒の張り具合など見た目の品質で数段階の等級に分けられ、さらに重さによって数段階の階級に分けられます。農家は、市場でのセリ値のより高い等階級になるように、まさに芸術品と言われるような美麗なぶどうに仕上げるために、房の大きさを決めたり一房の粒の数を決めたりする“房作り”という作業に1年の内で最も時間を使い神経を遣います。
でも、でも、でも、一応の出荷基準として糖度18度以上というのはありますが、市場からの市況に美味いから値段が高い、不味いから値段が安いとか言う話は全くありません。市況はだいたい需要と供給のバランスで決まりますが、その市況に一喜一憂はしても、高い理由安い理由を食味品質の上から真剣に考える人がどれほどいるでしょうか。私たち農家にとっては、ぶどうが生活の糧ですから、自分の出荷したぶどうがいくらになったかということに関心が行くのは当たり前ですが、自分が育てたぶどうが美味かったか不味かったか、そういうお客さんの評価がわからなければ、何のために「美味いぶどうを作るにはまず土作りから」とか言って肥料を選んだり、したくもない苦労をしているのか訳がわかりません。本来目的としたことの結果が返ってきません。なのにまた今年の秋も「来年美味しいぶどうを収穫するため」と言って高い肥料を撒くのでしょうか。
どうせ食べるときは一粒ずつなのに、なんでぶどうの形がそんなに重要なの?なぜ単純に美味いだけじゃいけないの?こんな疑問を抱くのは私だけでしょうか。日本のぶどうも外国のように、外見にとらわれず、一山なんぼとか量り売りっていう売り方できないものでしょうか。外観の良さは付加価値でも良いのですが、味で値段が決まってもええじゃないかと、いつもそう思うんです。だから我が家では、食味が第一品質です。せめてご自宅用だけは多少の見た目の悪さはお許しいただきます。
田舎で一番の環境破壊は実は農業だということ
現在当園では化学合成肥料は使用しておりませんが、一般に肥料とは窒素、燐酸、カリウムの三大栄養素を主体にいわゆるミネラル分の微量金属成分等が配合されています。この中で窒素は生長に欠かせない成分で、グングン伸ばすには窒素分が多い肥料を与えます。でも最近は肥料をやりすぎじゃないの?という声もあり、また、空気中の約8割が窒素であることから、窒素分は雨に溶解した大気から十分に供給されるのではないかという説もあります。必要以上に肥料をやると、雨水によって地下に浸透して行き、地下水を汚染したり、表土を流れ肥料分を吸収した雨水が川に流れ、下流の富栄養化に繋がったりします。洗濯用洗剤は今や無リンが当たり前ですが、雨水が畑から燐酸を運び出したら昔の洗剤と同じことになってしまいます。
また、農薬の散布は間違いなく局所的な大気汚染になっています。そう考えると、都会の人たちから「田舎は自然がいっぱいで環境がいい。」とか「田舎は空気が美味しい」って言われながらも、実は、厳密に言えば田舎の環境を作っている農業が一番田舎の環境破壊をしているということになります。
そんなことから、近年は、化学農薬や肥料の使用量を控えようとする動きが結構盛んです。いわゆる循環型農業の推進です。市場で高値が付く美麗なぶどう(の形をした物)を作るために、目方をかせぐために、ブクブク太らせるために味そっちのけでたくさん肥料を与えたり、病害虫被害を防ぐために化学農薬をふんだんに撒いたりすることが、一体誰のためになっているのかということを考えることが求められています。味がよくなるために、病害虫からの被害を防ぐために、農家の作業が楽になるために、召し上がっていただいたお客様に喜んでいただくために、何をするか。そしてどれを最初に考えるかです。みんなが笑顔になる方法を考えます。
喧嘩が絶えません!
当園のマスカットベリーAには、収穫が終わった秋に肥料をやっていません。いわゆる元肥がありません。その結果、栄養分の蓄積が少なく、春の芽吹きは悪く新梢の伸びも悪く、房も粒の着きが例年より悪いです。親父は「肥料をくれんだから当たり前。」といい、現状が信じられない様子で息子の駄農を嘆きます。
2004年、このベリーAは最高糖度23.5度という稀に見る甘いぶどうになりました。当園史上最高糖度であることは疑う余地もありませんでした。去年は天候も悪く、平年並みの糖度でしたが、今年は再び史上最高糖度を目指します。実は肥料をやらなかったのはその作戦なのです。できるだけ小粒でキリリと締まった味のあるぶどうにするには、いわゆる常識的なことをやっていたのではダメなんです。肥料を減らし、水を減らし、房の数を減らして収量制限をします。「目方がなければ銭が取れんじゃねえか!」味と収量をバランスさせる従来の栽培方針と、収量よりも味を優先する栽培方針の二人の船頭は日々喧嘩が絶えません。
ぶどうを売ることをやめます
以前、こんな お客様がいらっしゃいました。ご注文いただいたぶどうが収穫できなくなってしまったので、ご注文の変更を願ったところ「先にお金を払っているのだから、他農園から調達してでも注文した商品を届るのが当たり前ではないか。」とおっしゃるのです。このお客様は何年も我が家のぶどうをお買い上げいただいていたのに、お客様は何らかの理由があって当園のぶどうを選んで買って下さっていると思っていただけに、この言葉には甚だショックでした。そんなことをおっしゃるのなら、わざわざ当園のぶどうを買わなくても、ご近所の小売店で買われたらいいのに・・・って思ってしまいました。
たくさんのお客様が当園のぶどうを召し上がって、また贈り物にされ喜んでいただいていたものですから、ちょっとこちらもいい気になっているのかも知れませんが、収穫不能の場合の変更や返金は予め申し上げていたはずなのに・・・。
「物を売りたきゃ物売りになるな」これは通販のコンサルタントから繰り返し言われてきたことですが、もしかしたら「ぶどうを売ります」「買ってください」という気持ちがそもそも間違っていたかなぁと考えてしまいました。
そうだ!いっそのことぶどうを売ることをやめちゃおう!そう考えました。
ぶどうはおまけ
そういうことで、考えた新しい商品は「笑顔の素」。召し上がっていただいた人を笑顔にさせたいという欲求を満たす商品でございます。この商品は言うなればサービスでして、物ではありませんから、便宜上、おまけとしてぶどうをお付けします。笑顔にさせる道具としてぶどうをお使いいただこうという魂胆です。そういう商品でございます。ぶどうにもお好みや適量がございますので、お付けする品種と量で各種コースを取り揃えました。付加価値の高いおまけ付商品とお考え下さい。
お召し上がりいただいたのに笑顔にならなかったのでは、欠陥商品ということになりかねませんので、おまけとは言え、作る方もより真剣にならざるを得ません。気合が入ります。もっとも、万能薬も全ての病気、症状に効くわけではありませんから、気持ちを込めて育てたぶどうであっても、中には満面の笑顔にならない人も、笑顔を我慢している人もいらっしゃるでしょうが、その辺はぜひ不味いぶどうでない限りはお許しをいただきたいと先に言い訳しておきます。
ただ、これだけは明確に申し上げます。お付けするぶどうは全て自分が育てたものですから、責任と自信をパンパンに詰めさせていただきます。あ〜、言っちゃった。これでおまけマニアのお客様が増えるかも〜。
農業廃業宣言!?
ただひたすらにぶどうを作るというだけの第1次産業としての農業は終わりです。食べてくださる人の笑顔をいつも思い浮かべながら、人を喜ばせるためのぶどう作りを実践します。それはもはやサービス業なのです。これがこの宣言の本質です。
高品質のおまけとなる食品としてのぶどうを作っているんだという強い自覚と誇りをもって、ぶどうを美味しくすることに一生懸命になります。いつの日か「笑顔の素」が我が家のぶどうの代名詞となる日を夢見て。
さて、廃業後は・・・。
その1 ぶどう作りの楽しさを見せつけちゃいます!ぶどう作りエンターテイナーになります。
その2 ぶどう作りの楽しさを分かち合う場を提供します。小さいながらもぶどう作りテーマパークを作ります。
その3 自分専用ワイン造りませんか?最高の原料ぶどうを提供する応援団になります。
その4 甲州を未来へ・・・。勝沼の伝統的なぶどう品種「甲州」を守っていきます。
その5・・・考え中
なにはともあれ、奇跡の出会いを大切にします。ず〜っとね。